グレゴリオ・グレーテル

何の変哲もない1日が過ぎていきました。

厚底。履いていたから、今日は人混みでも眺めがよかったよ。

 

お気に入りの人形をサブバッグから下げて歩いてたもんだから

ちょいと変な人だったと思う。

電車で向かいのサラリーマンがヘンテコな機械でも見るかのように覗き込んできたんですもの。

慣れっ子だけどね。

 

人の目が怖くて、少しの音でも敏感になって、見えないものが見えて、見えるものが見えなくて。

幼い当時の私はとても不便だったんだけど。

今はそうでもない。

 

そんな応えはとうにわかっている。

正しさが、何を土台にして成り立つのかを。

 

今がまだ未来だった頃。

ひとしきり、理解したよ。

 

それから解放されることが、仮に自由だとしよう。でも無理だ。

それは鳥籠の中で生きていくしか方法がない訳ではなく。

鳥籠の中の鳥が生き生きしていることに対して誰も違和感を感じないのと同じで、

可哀想だと思う人がいるけど、それが普通であったから誰も干渉しないのだと私は思う。

わざわざ鳥を飼っては逃がしている人など見たこともないし。

矛盾を抱えていると思うのはきっと私だけだ。

 

可哀想だと思うのなら、端から檻に入れるなよってね。

壊れ物を扱うような、触れ方をされるのは心地いいものではないけれど

初めから四肢を縛られていると勘違いしていただけ。

だからいつまでも飛べない。

もう鳥籠の鍵はとっくに外れてる筈なのに

自らを縛っていただけであった。と。

 

そんなことはもうどうでもいい話さ。

 

未来のためにパンをちぎって歩いたって

鳥に食べられて帰り道が分からなくなるし

考えても仕方の無いことなら

わざわざ帰ることを考えるより

そのパンを今美味しく食べた方が

ずっと今が幸せでいられる気がする。

お菓子のおうちは捨てがたいんだけどなあ。

 

悪い魔女につかまるくらいなら

手を繋いで暗い森を歩いた方がずっと楽しいかもね。