ショート・タイム

かつて兎は月にいると言われていた。
金色に染まった満月はいつも夜を朧気に照らし、私たちの頭上に居る。

 

兎を見ると追いかけたい衝動にかられる、これはきっと本能なんだ、アリスが兎を追いかけた理由も分かるでしょう?と私が言うと
「きっと気のせいだよ。」と貴方は三日月のように笑った。

月をいつまでも追いかける太陽も同じく

そしていつまでも追いつかない。
ずっと追いかけてばかりいる。
似ているんだ。まるで兎の生まれ変わりなのかと疑うほどに。
まあるい目、白い毛、力強くて細い足。

 

私はいつまでも追いつけないのだろうか、とベッドの片隅で悶々とすると、貴方は決まって寝てしまう。
兎と亀の兎は、寝てる間に亀に抜かされちゃうんだよ。そう思いながら丸まっている隣の貴方の白い髪を撫で、私はただ穏やに眠る長い睫毛を見つめていた。
真っ白なシーツは月を覆う雲母のように寄せては、息をする1匹を優しく包んでいる。

 

誰も居ない花園、そよぐ草に囲まれて私は立っていた。
遠くで鐘が鳴っている。
ザワつく草むらからぴょこり覗く白い耳が
おいで、おいでと私を呼ぶ。
待って、行かないで。背伸びして慣れないヒールを履いてたせいで上手く走れない。捕まえなくちゃ。
私を置いて行かないで。そう言って花たちをかき分けて流れる雲をなぞった。
白い耳はどんどん遠くへ行ってしまう。
随分走ったあたりで、開けた場所へ出てしまった。足が痛い。お気に入りのスカートもボロボロになった。
兎の姿が見えなくなった。見失ってしまったようだ。
するとよく知っている声が「もう、行かなくちゃ。」と耳元で聞こえた。風の音かと思うほど寂しい音がした。
どうしていつも行ってしまうの?
暗転する視界。

 

そこで夢を見ていたことに気がつけば、目が覚めると貴方は出掛けていた。
やっぱり、また追いつけなかった。

シーツの上の温度だけが残され、「行かなくちゃ。」
と夢心地の中言われた言葉を思い出した。
指に絡まり残った白い毛が赤だったら良かった。

にんじんでも、美味しい草でも、なんだってあげるものはやってあげたいと思うのに。
いつもどこかへ行ってしまう。

 

今夜は満月だといいな、そう思いながら1日を終えて一人帰路につく。
ビルとビルの隙間から薄明かりがこぼれて、
見れば今日は満月だった。
その黄色く実る円の中に、小さな兎が見えた。

月にいる貴方はロケットでもとうに追いつけない距離にいるけど、何億光年離れた所でも月明かりは届いている。

アポロが月に着陸したのが嘘かほんとかはどうでも良かった。
いつも見られるのに
遥かに遠い。


やっぱり兎なんでしょう?と電話越しに言えば
貴方は「兎は寂しいと死んじゃうからね」と夕凪のような声で呟いた。
丸い目を細めて笑う姿がぼんやり浮かんで、
今夜の満月も静かに揺らいだ気がした。

 

兎、兎、なに見て跳ねる。

寂しさで死んでしまうのは自分の方だよ。
とぽつり言えることができたら。
少しだけ追いつけるのだろうか。

三日月になったら戻ってくるのかい。
ぴょん、とどこかへ行く前に。

 

月見て跳ねる、心。