ゴールデン・バッドディ

お久しぶりです。

最後の投稿からもう4ヶ月たってて

あけましておめでとうございますなんて、とっくの昔に聞いたなってフレーズになってしまったね。

 

かろうじてこんな私でも息をしていられる東京って凄いです。

桜の日記をつけたかったけど

息をしてる間に散って土に還ってしまっていた、春というものは暖かいのに寂しいね。

 

心がとても痛くて、どうしようもなくて、

音の出ない壊れたピアノを弾いている、そんな気分で

とうとう指も擦れて痛くなって、もう何も出来なくなって、椅子からやっと立ち上がって

音の鳴るものを探したくて、でも体も動かなくて

しばらくただ時間が過ぎるのを見ていた数ヶ月。

やっと、足が動いて、桜が綺麗だなと思えて

綺麗な音を探しに行く気になりました。

 

馴染みのある街を離れてまた新しく仕事をする。

春は出会いと別れの季節って誰かがこじつけてたけど、案外そうかもしれないな、なんて思いながら。

 

また1つ歳をとったんです。こんな私でもちゃんと生まれてきた日を祝ってくれる人がいて、嬉しかったな。

毎日が誕生日ならいいのに。

それってちょっと欲張りかな。

 

ずいぶん生きて自分の世界が広がったかのテストをしたい。

私は私の世界に私しかいないと考えてる。

他の人は全て言うなればCPUさ。

ドラクエの村人と同じだ、決められた行動をして決められた言葉を話し決められた時に死ぬ。

 

お互いが自分の世界を共有した時に初めて共有できるんだ。

もっと大きく言うとアメリカは存在しないんだ。私は行ったことがないから、

つまり自分の世界は目に見えて聞こえて触れて感じれるところだけなんだよ。

 

そう思うとなんだか、もっと世界を広げたかったら私は色んなものを見て聞いて感じなければならないね。

 

一年前の私よりは、世界が少し広がったかな。

汚いものに心が汚れて

綺麗なものがあんまりなくて

見つけたビー玉を大切に宝箱に入れてる。

そうして私の世界が作られていく。

 

好きな物だけあればいいんだ。

私の世界には要らないものも世の中には沢山ある。

それも含めて今こうして見ている全てが私にとっての私の世界だ。

 

そして、あなたの世界もいつか見てみたい。

パンドラの箱かもしれないし

お菓子の詰め合わせかもしれないけど。

それでもいいよ。

 

明日はどんな世界になっているかな。